あれから30年ですね。当時、災害対策課長だった私は二日目の夜、神戸市の三宮に支援物資を持って急行しました。神戸に通じる国道2号線が大渋滞で動けなかったため、倒壊した阪神高速道路の下(国道43号線)を深夜、車のヘッドライトだけを頼りに走ったことを思いだします。その後、東京に帰った私は避難所の自主運営組織をつくり、避難所になる全ての小中学校に必要なものを備蓄し、災害用のトイレをつくりました。そのトイレは地中埋設型で「アースイントイレ」と呼んでいましたが、30年間、訓練以外で使われたことはなく、この度、撤去することが決まりました。それでも、震災の記憶だけは風化させないで欲しいと思います、合掌。